紀州鉄道沿線や周辺には見所が
いっぱい。
のんびり、ゆったり列車の旅へ
出発進行。

原稿協力、関西電力(わっと’98.2月号)より抜粋


 JR御坊駅の0番線、これが紀州鉄道の始発駅です。ここには紀州鉄道の駅舎はなく、JRからホームを“間借り”しています。線路はこの駅から市街地に向かって延び、西御坊駅までの二・七キロを八分で結びます。

 紀州鉄道の前身である御坊臨港鉄道が設立されたのは、昭和三年のこと。その頃、阪神間からの唯一の陸上交通機関であった国鉄紀勢西線(現在のJR紀勢本線)は和歌山止まりで、和歌山から南へのルートの建設工事が行われていました。この新線は御坊のまちも通りましたが、国鉄御坊駅の場所が市街地から大きくはずれたため、まちの有志が資金を出し合って鉄道会社を設立したのです。御坊臨港鉄道は国鉄御坊駅から市街地を通り、日高川河口の港まで敷設されました。当時、阪神地区や東京への物資の輸送は海上交通が主体で、日高川河口はその拠点でもありました。

 昭和六年に紀州鉄道となって、旅客と貨物を輸送しましたが、主体は貨物でした。主に木材、みかんなどを積み、特に名物のみかんは鉄道で日高川河口の港まで運び、ここから船積みして神戸や大阪、東京に届けられました。

 貨物、乗客とも最も多かったのは、三十年代でピークは三十九年で、一日三十二往復、年間の乗降客約百五万人。現在は一日二十四往復、年間乗降客は約十八万人です。乗客減少の要因としては道路整備の完備(車社会への移行)、また、人口の減少(過疎化の進行)などがあげられます。

 国鉄貨物の取り扱い廃止とともに、昭和五十九年から貨物輸送を廃止。さらに平成元年には、西御坊駅から日高川駅間が廃線になりました。

 このため、当初三・四キロあった営業距離は二・七キロになったのです。しかし、まちの人たちの多くがこの鉄道を“ふるさとの誇り”としており、根強い人気があります。五年前、御坊商工会議所が“御坊市の誇り”をアンケート調査したところ、一位が日高川、二位が御坊のまつり、そして三位に紀州鉄道が選ばれました。ちなみに、四位は関西電力の御坊火力発電所でした。

 紀州鉄道のような、いわゆるローカル鉄道は全国でもしだいに少なくなってきました。それだけに、いまも走り続ける紀州鉄道は地元の人たちだけでなく、鉄道ファンからも愛されています。昨年の夏、そんなファンの一人から風鈴と手づくりのプレートがプレゼントされ、さっそく風鈴を車内に取り付けて風鈴列車を走らせました。また、車体の前後に付けるプレートは、年間の行事や祝日用に二十数枚が用意されています。

 民家の軒先をかすめるように走る鉄道は、まさにまちと一体。地元の人たちは「自分の家の庭先を走っているようだ」と言って親しんでいます。紀州鉄道には五つの駅がありますが、最も新しいのが昭和五十四年にできた学門駅です。かつてはここに中学前駅があったのですが、昭和十六年、戦争のために廃駅となりました。それを東隣りにある県立日高高校からの要請で新たに復活させたのです。こんなところにも地域と密着した鉄道の姿がうかがえます。

 ところで、この学門駅は受験生の間で評判になっています。学門駅の入場券と、お隣りの美浜町にある日之御碕神社のお守りがセットになったお守り付き入場券は、“学校の門に入場とは縁起がよい”とのイメージがあり、一月から三月の受験シーズンに大人気。年間約千枚が販売されているそうです。

 営業距離二・七キロ、一日の乗客が約五百人のミニローカル鉄道は、風鈴列車やお守り付き入場券などのアイデアで集客を図りながら、きょうも御坊のまちをマイペースで走っています。

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